「ひむかの極み」の誕生秘話

 

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私が日本山人参に出会ったのは、およそ40年前。宮崎の小林市で造園業を営み、組合の役員をしていた頃
組合員のクロキさんが、粉にした日本山人参をもってきた。

 

上田さん、これは私の地元で昔から「医者いらず」と呼ばれているんです。飲んだら、年なんて気にしなくてよくなるよ!
クロキさん
クロキさん

 

あちこち行って、色んな人と出会っているけど、そんなものがあるとは初めて聞いた。
いやいや「そげなもんあるか!!」冗談半分だと思って、受け取った。

 

でも、せっかく持ってく来てくれたし、飲んでみるか…。

 

私
飲んではみたけど、いや~何にも変わらない。

 

私
まだあるから、そんなら誰かに試してもらおう。

 

私
キクマさん、あんた、これ飲んでみらんね。

 

そうして、友人のキクマさんにその粉をすべて渡した。

 

私
80歳になろうとするのに、昼から夜から忙しくしよって。

 

私
疲れてるだろうから、飲んでみらんね。

 

10日後、キクマさんが…。

 

上田さん、全部飲んでしまったよ。
キクマさん
キクマさん

 

なんか、力が湧いてくるよ。
キクマさん
キクマさん

 

まだ、飲みたいんだけど。なんとかして手に入れてもらえないだろうか…。
キクマさん
キクマさん

 

そうして、後日。

 

私
へえ~!!そげなことあるんか。そんならなんとかしてあげたいな。

 

私
よし、まかせとけ。

 

あんたの願いだから、山に自生するものを探し歩いたけど、これで全部だ!
クロキさん
クロキさん

 

私
クロキさんありがとう! だけど、もうこれだけなんか…。

 

ん~~。それなら私の手で、なんとか日本山人参を栽培できないだろうか。まさかと思ったが、世の中には不思議なことがあるもんだなあ。

 

私
自生する山人参

 

早速、育種家である松永一(はじめ)氏に、日本山人参を預けた。植物と言葉を交わすことができ、白く伸びたあごひげはまるで仙人のよう。

 

松永氏宮崎大学の教授が成分を分析した結果…。

 

上田さん、このままでは栽培できんよ。
自生だから環境に左右され、成分にばらつきがある。
松永仙人
松永仙人

 

成分を統一する必要がある。
松永仙人
松永仙人

 

それから、成分を統一するために年月を要した。

 

種をまき、育て、花を咲かせ、種を取る。そして、いいものだけを残し、そしてまた種をまく。そのくりかえし…。

 

株を預けてから10年。やっと成分が統一され、より高い成分の日本山人参が育った。

 

歳月と願いをかけたよりすぐりの株を松永仙人から受け取って

 

私は孫を抱くようにして、その株を自宅へと運んだのだった。

 

仕事であちこち飛び回り、いろんなところに行ったが、やはり故郷には特別な思いがある。

自宅の横の畑の一角に、10メートルほどの背丈の桂皮の木がある。いつ植えられたのかわからないが、子どもの頃にはすでに木登りができた。

お菓子なんぞしゃれたものが何もない時代。樹皮をおやつがわりにかじったものだった。

一株の日本山人参を、その桂皮の木の根元に植えた。自生する日本山人参は、天照石の力を吸い取って育つ。一株の日本山人参を自生している山人参と同じように。私は株を囲むように、山から切り出した、黒くごつごつした天照石をおいた。

人も植物も育つ環境が大事やね。何とか育ってくれよ! ここを「山人参の聖地」と名付けた

 

 

日本山人参はなぜ世に広まらないか。こんなにいいとされる日本山人参なら、すぐさま世に広まるのではないかと不思議に思われるでしょう。希少であること、栽培から収穫まで3年以上かかり、地の力を吸い取り育つために連作ができない。商品化するには、はてなく大変な道のりだ。それゆえに、高価なものにならざる得ない。しかし、健康維持のため継続して飲用できる商品にしようではないか。

 

 

 

 

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